遊学

「理想の教育」ってなんじゃろか…?
ふと思い浮かぶ疑問。
 
恩師から送られてきたメールに

「遊学」

ということばがありました。
 
本来は

「海外で学ぶこと」

を意味する「遊学」
 
しかし、先生はこう解釈したいとおっしゃいました。
 

「遊んで学び、学ぶ事で遊ぶ」

 

いつの日か「遊」=「学」となったらいいなぁ

という想いを込めて
 
新学期に贈った言葉であるようです。
 

この言葉から

「理想の教育」=「子どもたちの最終財」

って、なんだろう??

と思いました。

 
 
私は読書が比較的好きで、
哲学的思考をもって映画やドラマを見るのも好きで
(純粋に楽しむのも勿論すき!)
文章を書いたり、ひとと対話したりするのも好きです。
 
だから…で結び付けられないかもだけど
一問一答形式のテストは苦手だけど、
記述式テストやレポートは得意な方です。
 
一問一答の為のテスト勉強や 
英単語を覚える時、とても苦労するのに
なんで、A4紙20枚分のレポートを作成したり、
一カ月ほどで6テーマ以上のレポートと
パワポ3つを作り上げたりするのが
「苦」だと感じなかったのだろう…
と我が身を振り返り、少し疑問に思いました。
 
 
私の場合、レポート作成の時は

凄く「楽しい!!!」

とか

「先生やみんなを驚かすにはこうしたらいいかな?」

という気持ちを持って出来てるなぁと思い返しました。
 

つまり、、、

純粋にレポートやパワポ作りが
楽しくて、「遊」んでいるのです。

 
そして、皮肉なことに
こうやって

「遊」んで身に付けた「学」の方が

「苦」だけで身に付けた「学」より

記憶として、ずっと頭に残っているのです。

 

 

では「遊」=「学」になるには

どうすればいいのか?

 
それは常に
「なんで、なんで?」
「ほんまにそうなんか?!」と
疑問を抱いたり、ツッコミを入れたり
する精神を持っている必要があります。
 
教育を提供する側(教師、学校)は
 

「本物」を伝える

「真実」を伝える

 
ことに徹するべきです。
 
岩石の学習をするなら
ビデオや理論で説明するだけでなく、
実際に川に行き岩石を採りに行かせること。
 
古代の生活を学ぶなら
火おこし体験をさせること。 

外国語を学ぶなら
外国の文化も一緒に伝えること
・・・など

 
 
子どもも各々、興味を持つ事は違うだろうから
様々な「仕掛け」が必要になってくるでしょう。
 
教える側が退屈になって教えると
教えられる側もそれが伝染してしまいます。
 

自発的な「なんで?」が

1つ生まれると、それを追究しようと

どんどん自ら調べ出します。

そして気付いたら、
網目状に世界が広がっていて、
知らぬうちに色んな「知識」が
身に付いていたことに気付きます。
 
 

疑問の解消に「難」はあっても

「苦」があっては長続きしません。


 

『子どもの教育については、

勉学の欲望と興味を喚起することが大切である。

でないと、結局、

本を背負ったロバを養うことになる。』

このモンテーニュの言葉を借りると、


「理想の教育」=「子どもの最終財」とは、

猛烈な「知りたい!!」欲

「なんで?」という疑問

を持ち合わせる状態にすること。


なのかなぁと思いました。
この2つの感情を持っていれば、とことん「"学"びを"楽"しめる」のかな、と思います!!
 
最後まで読んでいただきありがとうございました😊

La musique fleur

"la musique fleur"とは、フランス語で「花の音楽」という意味です。 お庭で、風が吹き花たちが揺れて 織りなす音楽に耳を澄まし感じる 「しあわせ」を味わえる人が 増えますように… そんな想いを込めて サイトタイトルとしました。 京都の大学生が書く、 ちょっとしたお話を 覗いてみて下さい!!

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